◆近隣や家族曝露被害を認めず

確かに画期的ではある。一方、課題も少なくない。

たとえば、工場近くで農業をしていた原告は被害との因果関係を認めず、さらに「労働基準法の保護される地位にない」と切り捨てた。石綿工場の労働者の家族については石綿肺などの所見を認めなかった。

また、戦前に国が泉南地域などで実施した疫学調査は「データとしての意義があったものの、医学的または疫学的知見としては仮説」として、1947年の労働安全衛生規則制定時には医学的知見が確立していたとする原告の主張を退けた。

判決はアスベストによる健康被害の医学的知見について、石綿肺が1959年、中皮腫と肺がんが1972年に集積されたと判断した。そのため、1959年までの作業で石綿肺を発症した原告は訴えが認められなかった。

しかし、戦前の国による調査が詳細に及ぶことや、当時においても海外の知見がほぼリアルタイムで入手できたことからも、この判断には疑問がある。厚 生労働省が2005年8月に公表した行政対応の検証でも、「石綿による健康障害としての石綿肺は、戦前からその危険性が認識されていた」と認めている。

肺がんと中皮腫の知見でも、1959年に国の調査研究で日本初の石綿肺合併の肺ガンが報告されていることをはじめ、1960年代前半には同省にかなりの知見があったことが明らかになっている。

環境曝露の危険性については、「1989年まで医学的・疫学的知見が集積されていたことを認めるに足りる証拠はない」と、環境関連法における国の不作為を否定した。

これにしても、1972年度の国の委託調査でも海外における工場周辺での中皮腫被害について報告され、その危険性についても指摘がある。1976年には大阪で工場周辺の住民の肺がん被害が明らかになっており、大阪労働局は監督指導を強化している。

このように医学的知見については、いずれも国の主張に沿う判断だった。判決は労働被害に対しては多くを認めたが、環境被害にはきわめて抑制的で、将来に課題を残した。
※初出「初判決で国の不作為を断罪 近隣被害など認めず課題も」『日経エコロジー』2010年7月号を一部修正

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