もし最高裁で原告側が敗訴すれば、これが最高裁お墨付きの判例としてまかり通り、将来必ず産業公害や環境被害の訴訟で被害者の壁として立ちふさがることになる。これがこの高裁判決の重要性である。

原告らは最高裁へと提出した準備書面で、産業を優先するこの考え方についてこう批判する。

〈昭和42(1967)年、公害対策基本法が制定されたが、そのなかには、公害規制は経済の健全な発展との調和においてなされなければならない旨 (いわゆる「調和条項」)が盛り込まれていた。しかし、この規定は、昭和45(1970)年の公害対策基本法改正で削除されることになった。生命や健康こ そが最優先されねばならないことが確認されたからである。従って、生命や健康の保護と経済発展を天秤にかけるという考え方は、すでに40年以上も前に克服 されたはずである。しかも、昭和42(1967)年制定の公害対策基本法の調和条項でさえ、あくまで生活環境の保全との関係のみで用いられたものであり、 生命、健康被害との関係では、この1960年代ですら、経済発展を重視して公害対策にブレーキをかけるという考え方は採用されていなかった。本件はいわゆ る公害事案ではなく労災事案ではあるが、生命、健康の侵害が問題とされている点では同様である〉

〈高裁判決のこうした考え方は、現在ばかりでなく、これまでのあらゆる公害・環境法や労働関係法で採用されたことはなく、常識的に理解不能と言わざるを得ない〉

さらに原告側は生命・健康はもっとも尊重されるべき法益であると強調し、健康被害の防止のために行政には、

〈医学的知見や科学技術の進展に合わせて、「できるだけ速やかに」「適時、適切に」あらゆる規制権限の行使や被害防止対策が求められている、本件に おいても、このことがすべての出発点であり、そのことをないがしろにした司法判断は、もはや司法のチェック機能を放棄した司法の名に値しない単なる行政追 随の判決に過ぎない〉

とまで言い切っている。

泉南アスベスト訴訟はいわば産業公害や環境被害の被害者とそれを認めまいとする国側の闘いの最前線である。その結果はほかの訴訟に必ず影響を与えることになる。

原告の岡田陽子さんは「裁判官は幻の事実を作りあげ、幻の世界の判決をつくった」と高裁判決を批判したが、「幻の世界」が既成事実となって現実を侵食する、現在はその瀬戸際にある。

そう当時書いたが、2014年10月の最高裁判決でようやく「産業優先」が覆されることになった。
おわり【井部正之】

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※拙稿「「悪魔の判決」と批判される泉南アスベスト訴訟高裁判決の本当の意味【下】」『ECOJAPAN』日経BP社、2011年12月19日掲載を一部修正

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