◆進む静かな弾圧
20日にテヘラン各地区で激しい騒乱が起って以来、比較的静かな日々が続いている。24日には、国会前での抗議集会が夕方から予定されていたが、失敗に終わった。デモ参加者らがその場所に集まる前に、治安部隊が完全にその地域一体を裏通りに至るまで完全に占拠し、誰も近寄れないようにしてしまったからだ。

6月30日には、テヘラン市街を南北に貫くヴァリアスル通りを人間の鎖で繋ごうという呼びかけが改革派の間に出回っていた。

この日は、護憲評議会が、かねてから予定していた、全体の10%の票の再集計を行なうことになっていた。この再集計は、形式だけでも二人の候補者の異議申し立てに応えたという姿勢を内外に示すことが目的であり、また先の最高指導者の表明もあることから、この再集計の結果がどう出ようと、6月13日の開票結果が覆ることはないだろうというのが改革派の見方だった。

そのため、再集計の結果が出る前から、抗議を示すために、ヴァリアスル通りを人間の鎖で繋ごうという呼びかけが出回っていたのだが、午後7時半、ヴァリアスル通りを歩いてみると、至るところに警官が立ち、怪しげな私服の男たちがあちこちにたたずみ、迷彩柄のベストを着こんだバスィージ(市民動員軍)の若者たちが巡回していた。デモ隊の入り込む隙はもうなかった。

その晩、護憲評議会は10パーセントの再集計を行った結果として、50都市で有権者数を上回る投票者数があったことを認める発表をした。しかし、その程度の不正では1100万票差が覆ることはないとし、ムーサヴィー氏らが求めていた選挙のやり直しは有りえないとの見解を発表した。

効果的なデモの予防に努める一方、政府は内外へのプロパガンダ活動を着々と進めていた。ジャーナリストや学生、改革派政治家らを片っ端から逮捕し、精鋭部隊である革命防衛隊は、デモの徹底鎮圧を警告した。国営テレビでは、選挙検証番組が組まれ、各界の著名人に今回の選挙の正当性を滔々と語らせたり、20日の騒乱でデモ隊が治安部隊の数名に暴行を加えている映像をテレビで公開し、そこに映る市民らの身元を当局に通報するよう呼びかけたりした。

欧米諸国で、一連のデモ弾圧に関してイラン制裁が話し合われると、イラン政府も、これまでの騒乱に西側諸国、特に英米政府とそのメディアが加担し、ヨーロッパに拠点を置くイランの反体制武装組織ムジャヒディン・ハルク(MKO)も関与しているとするキャンペーンを、国営メディアを総動員して繰り広げた。特に、ウクライナやグルジア、キルギスタンなどで西側の支援によって成功した「ビロード革命」を、イランでも起こそうという動きがあったとし、イギリスなどを強く非難。
騒乱を扇動したとして在テヘラン・イギリス大使館の現地職員を逮捕したりした。また、テレビカメラの前で、デモの逮捕者に国外勢力との協力を「告白」させたりもした。

街頭でのデモを阻まれた人々は、なんとか抵抗の火を消さないようにと、毎晩決まって10時過ぎにアパートの窓や屋上から、「アッラーホ・アキバル!(神は偉大なり)」と夜空に向かって叫ぶ運動を細々と続けていた。一人の声に呼応して、町のどこからか別の声が上がる。互いの存在を確かめ合うかのようなか細い叫び声が、いつまでも夜空にこだまする。

しかし政府はそれすらも見逃すつもりはなく、叫んでいるのを見つけ次第、逮捕、投獄すると発表し、この時間になるとバスィージが夜回りに出るようになった。
夜の叫び声は日ごとに少なくなり、私が住む地区では、7月に入ってまもなく聞こえなくなった。

町は一見、平穏を取り戻したかのように見える。公園では、子供たちが駆け回る横で、老人たちがチェスに興じ、青物市場では、売り子とおばさんが激しく言い争っている。
しかし、この人たちの中に、6月15日の沈黙のデモに参加した数十万人の人たちがいる。彼らは、失望と恐怖から街頭に出てこなくなっているが、情勢のゆくえを静かに見守っているに違いない。

〔2009年イラン大統領選挙とその後の騒乱〕
改革派のムーサヴィー候補を破って現職のアフマディネジャード大統領が再選を決めたこの選挙では、大統領側の不正が疑われ、改革派候補とその支持者らによる大規模な抗議デモが発生した。その後、政府による弾圧は苛烈さを増し、抗議運動も先鋭化してゆく。

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