叔父モルザックはザルミーナの7人の子どものうち、5人を引きとり、自分の子どもとともに育てていた。慢性的な停電のなか、ランプの光で夕食を囲む叔父と子どもたち。(2002 年7月撮影)

◆ザルミーナの子どもたち
ザルミーナには7人の子どもがいた。
メディアが発達していないアフガンでは噂がおもな情報源だ。
私は街で女性たちが話す噂や通訳と一緒になって調べた裁判関連の情報ををたよりに、市内のさまざまな地区へとおもむいた。

そして、子どもたちのうち、5人を叔父が引きとって育てていることがわかった。
旧ソ連大使館があった場所に程近い地区に叔父の家はあった。

砲撃や銃弾で穴があき、廃墟となった旧大使館の建物の背後に、土色の民家が並ぶ地区が広がる。

土塀で囲まれた迷路のような路地をすすむ。赤黒い鉄の扉があるのが叔父、モルザックの家だった。
モルザックは、ザルミーナに殺された夫アロザイの兄にあたる。

5歳から13歳までの5人の子どもたちを、叔父がひきとり、自分の子どもとともに育てていた。

一番下のふたりは二卵性の双子だ。事件が起きたときはまだ乳児で、ザルミーナが処刑されるまでの2年ほどを刑務所のなかで育てられ、その後、叔父のもとに連れてこられた。

はしゃぐ、ザルミーナの子どもたちと叔父の子ども。写真右上の三女ビビ(8歳)はザルミーナに一番似ているという。(2002年7月撮影)

三女のビビ(8)は、小さな体ながら皿洗いから水くみまで叔母の手伝いはなんでもこなしていた。彼女の鼻すじと、くりっとした目がザルミーナにそっくりだと叔父は言った。

ビビは市内の小学校へ通いはじめていた。夢は学校の先生になることだという。
私はビビとともに学校を訪れた。

女子児童でぎゅうぎゅう詰めになった教室の一番うしろの席で、ビビは懸命に先生の話を聞いている。
女性が学校に通うことはタリバン政権下では禁止されていた。

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