2016年7月に避難指示が解除された福島県南相馬市小高区。住民の帰還を待つ民家の草刈りに従事するボランティアたち(2017.10.1撮影筆者)

◆ボランティアの1日
「海に向かって、黙祷」
30秒の沈黙のあいだ、聞こえてくるのは虫の声と、草木が風で揺れるかすかな音だけだ。昨年7月に避難指示解除を受けたばかりのこの町には、日中でもほとんど人の暮らしの音がない。作業場ごとに行われる黙祷は、いつもそのことを思い出させてくれる。

持ち場となったその民家にも人の気配はなかった。おそらく震災から6年のあいだ、無人だったのだろう。納屋に置きっぱなしの小型ショベルカーは錆と埃にまみれ、裏手のお社は朽ち果てようとしている。そして広い敷地を覆いつくさんばかり藪と草。それらを刈り取ることが仕事だ。

草刈りを依頼されたからといって、この家の住人がまもなく帰還するとは限らない。生い茂った草木を定期的に伐採しなければ、家は荒れ果てる一方だからだ。

草刈りには、小型エンジンを搭載した刈払機や、さらに強力な「ハンマーナイフ」(自走式草刈機)が使われる。刈払機は初日から、ハンマーナイフも3日目には任されたが、マニュアル車の運転を知っていればそれほど難しいものではない。深い雑草に覆われていた敷地がみるみる切り開かれてゆくのを目の当たりにすると、自分も少しは役に立てているのだと思えて嬉しかった。その日は軽トラックを運転し、刈り取った草を山のように荷台に積んで、15キロほど離れたクリーンセンター(ゴミ収集所)まで運び込んだ。

夕方4時過ぎ、その日の作業を終えてセンターに戻り、機材の片付けを終え、センター長に作業報告を行なうと、この日の活動は終了となる。

◆ボランティアには宿泊施設も
センター敷地内にはバストイレ付3DKの立派な宿舎があり、一泊500円を上限とする任意の寄付で泊まることができる。市民から無償で貸与されているものだという。
ところが、多くのボランティアたちは、ここから10キロほど離れた国道6号沿いの「道の駅・南相馬」に泊まる。彼らの多くは定年退職後、ライフワークとして足しげく被災地に通っている熟練ボランティアであり、私が今回出会った人たちは、自家用車に寝具一式積み込んで、関東近県から訪れていた。道の駅の近くには公衆浴場もコインランドリーも大型のスーパーも揃っている。宿泊所が混雑しているなら、気ままな車中泊も良いかもしれない。

だが、その晩宿泊所に泊まったのは、高知から来ていた宮上さんという方と私の二人だけだった。ひとり一部屋ずつ贅沢に使わせてもらうことにした。
台所には、家電製品ばかりか、米や調味料も一通り揃っており、私たちはご飯が炊けるまでのあいだ、避難指示解除前から小高駅前で営業している「東町エンガワ商店」に夕食の買い出しに出かけ、戻ってからは、互いの身の上について語り合いながら夕げを囲んだ。

宮上さんは定年退職後、地元高知のシルバー人材センターを通して仕事をしながら、時間を見つけてはボランティア活動をしているという。「年金は生活費に。シルバーからの収入は、自分の好きなことに使う。今回ここへ来たのもそう」。何度も福島に通う理由を、「人に会うのが嬉しい」と語った。(<中> 続きを読む >>

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