ISとの戦いでは、クルド側に多数の犠牲が出た。住民たちは戦死者の写真を掲げ、トランプの方針転換を「裏切り」と非難した。(シリア北部カミシュリ・2019年10月・撮影:坂本卓)

◆20年におよんだ「テロとの戦い」で

2001年の米国同時多発攻撃で、アメリカは、アフガニスタンのタリバン政権が事件の首謀者ビンラディンをかくまっているとして戦争を開始。この「テロとの戦い」は、イラク戦争へと拡大する。

住民を巻き添えにする米軍に、イラク人の怒りは高まった。

「市民を殺すことが正義の戦いなのか」

2001年、アフガニスタン攻撃で始まった「テロとの戦い」。写真はタリバンの本拠地だったアフガニスタン、カンダハルを走る米軍車両。(アフガニスタン、カンダハル・2002年8月・撮影:坂本卓)

 

2001年のタリバン政権崩壊後、働くことが認められなかった女性が仕事を持てるようになった。抑圧から解放された住民がいた一方、タリバンは残存して活動を続けた。今夏、全土を制圧、政権は復活することに。写真は取材する筆者。(アフガニスタン、カブール・2002年3月・撮影:坂本卓)

 

「テロとの戦い」は、のちに大量破壊兵器を隠し持っているとしたイラクに及ぶ。フセイン政権崩壊後、武装勢力の攻撃が激化。写真は爆弾事件で周辺住民を一時拘束する米軍。こうしたやり方に、住民の反発が広がった。(イラク、バグダッド・2004年5月・撮影:坂本卓)

 

結局、戦争の理由とした大量破壊兵器は出てこなかった。フセイン政権崩壊後の混乱のなかで、イスラム過激組織各派が台頭し、イラクはスンニ派・シーア派の宗派抗争の泥沼に至る。その後、ISが勢力を拡大し広範な地域を支配、世界各地でのテロを扇動した。

そして今、アフガニスタンでは米軍撤収とともにタリバンがほぼ全土を制圧し、政権が復活した。イラクではシーア派政党が勢力基盤を固め、隣国イランの影響力がさらに高まっている。

2004年、イラク・ファルージャで武装勢力掃討戦を進めた米軍。空爆や戦闘で子どもを含む多数の住民が犠牲に。墓地が足りず、遺族はサッカー場に遺体を埋葬。住民の怒りが、その後、IS台頭を招く。(イラク、ファルージャ・2004年5月・撮影:玉本英子)

◆多数の犠牲生んだ戦争

アメリカ史上最長の戦争となった「テロとの戦い」。抑圧や独裁政権から解放された住民もいた一方、米軍の空爆や誤射だけでなく、揺れた政策の結果、苦難に直面した人も多い。見えないゴールのために多額の戦費が投じられた。

失われたのは米兵の命だけではない。その何十倍もの市民が犠牲となった。被害に対する責任も補償もあいまいなままだ。

2004年、バグダッドで米軍の誤射で死んだ高校生の息子の写真を手にする父親。米国史上、最も長い戦いとなった「テロとの戦い」は、テロと関係のない市民の犠牲をいくつも生み出してしまった。(イラク、バグダッド・2004年4月・撮影:玉本英子)

 

現在も故郷に戻れず、避難生活を送るジハンさんは言った。

「私たちはアメリカの都合で翻弄され、見捨てられた」

果たして、これはアフガニスタンやシリアだけのことだろうか。20年におよんだ戦争は何だったのか。それを支持した国にも向けられる問いだ。

(※本稿は毎日新聞大阪版の連載「漆黒を照らす」2021年10月27日付記事に加筆したものです)