◆「貴様、朝鮮人だろう?」

「赤羽の向こうにある鉄橋」を無事過ぎると、車内に安堵のため息が漏れ、人々はこの数日に見聞きした「いろいろの恐ろしい出来事」や「根も葉もない噂を如何にもまことらしく誇張した身振り口振りで」話しだす。

中には気紛れに「鮮人を一刀の下に斬殺した」と得意そうに話す男や、「東京があんなに大火事になったのは社会主義者が方々へ爆弾を投げつけたからだ」と話す者もいた。

壺井は帽子を目深にして長い頭髪を隠した。一般の人々には「長髪は社会主義者」というイメージあったからだ。彼は昨日の出来事を回想する。

九月四日の昼頃であった。私はある友人と二人で牛込弁天町の宿を出て、山吹町を通って音羽の方へ向って歩いて居た。ふと後から私達を鋭い威嚇的な声で呼び止めるものがあった。振り返って見ると、既に一人の兵士が私の背にギラギラと砥ぎ澄ました銃剣を突きつけている。私はギョッとして思わず一足後へ下がった。

「待て! 貴様、朝鮮人だろう?」と怒鳴りながらその兵士は私の側へ一歩詰め寄って来た。

ルパシカを着たアナキスト・朴烈(右)と金子文子(『主婦之友』1926年3月号)。
2人は震災時に冤罪で逮捕され、大逆罪に問われて死刑判決を受ける。

「日本人です、僕は!」
 どぎまぎしながら、私はやっとこれだけ答えた。

「嘘吐け! 貴様!」
 兵士は猛獣のように凄い顔付をして、私の云うことを取り上げようとしなかった。

左翼運動に接近していた壺井繁治が兵士に「朝鮮人だろう?」と疑われたのは、彼が水色のルパシカ(ロシアの男性民族衣装)を着ていたためだった。角帽をかぶった友人の弁護で辛くも兵士の検束を逃れることができた壺井は、友人に注意されてルパシカを脱ぎ捨てた。ルパシカは当時左翼青年のシンボル的ファッションだったのだ。

では兵士がルパシカと朝鮮人を結びつけたのはなぜなのか。この頃、日本人社会主義者と朝鮮人労働者が結びつき、共闘を始めていたからであった。(敬称略 続く 4

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劉 永昇(りゅう・えいしょう)
「風媒社」編集長。雑誌『追伸』同人。1963年、名古屋市生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。雑誌編集者、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。著作に『日本を滅ぼす原発大災害』(共著)など。

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