在日韓国人二世の作家・李良枝(イ・ヤンジ)。妹の李栄さん提供

 

芥川賞作家・李良枝の作品には、繰り返し関東大震災下の朝鮮人虐殺が想起される。未発表作品「除籍謄本」では、その記憶が今なお在日コリアンの精神を宙吊りにしているありさまが表現されている。(劉永昇

◆大地震が起こったら、また在日は殺されるか…

在日コリアン作家の李良枝(1955~1992)は、1989年に作品「由煕(ユヒ)」で第100回芥川賞を受賞した。そのわずか3年後の1992年に急性心筋炎で急逝するのだが、10年あまりの執筆活動で、没後に出版の『石の聲』を含め4冊の単行本が遺されている。最初の本のタイトルにもなっている作品「かずきめ」(1983年)にこんなくだりがある。

〈さっき地震があったね、いっちゃん〉
〈そういえば、少し揺れたな〉(中略)
〈いっちゃん、また関東大震災のような大きな地震が起こったら、朝鮮人は虐殺されるかしら。一円五十銭、十円五十銭と言わされて竹槍で突つかれるかしら〉

前年に発表されたデビュー作「ナビ・タリョン」にも、よく似た主人公の心象が記されている。

……脇腹にナイフが刺さっている。脇腹に手を触れてみた。ナイフはなかった。何の傷跡もなかった。
日本人に殺される――。そんな幻覚が始まったのはあの日からだった。

◆李良枝「除籍謄本」

李良枝の作品に繰り返し現れる関東大震災という災禍の想起は、未発表の習作「除籍謄本」では主要なテーマとなっている。作品のあらましはこうだ。

李良枝の芥川賞受賞作『由煕(ユヒ)』(1989年、講談社)

◆「ウリマル(母国語)で一円五十銭と言ってみろ」

主人公は母国に留学するため、父親の帰化で失った韓国籍の「除籍謄本」を取る。そして留学の前に故郷・全州を訪ねようと思い立つ。

初めてウリナラ(母国)にやってきた彼女は、強まる雨に李成桂の陵墓散策をあきらめ旅館に宿を求めた。雨が上がり、気分転換に街を歩いて宿に戻ると、旅館の若い男と下働きの少年の話し声が聞こえた。

「イルボン(日本)、アガシ……」
その単語を耳にして私は足を止めた。ふっふっという隠微な笑いが時折混じって私は立ちすくむ。私のことを話しているのだ。

全州なまりのウリマル(母国語)は彼女にはうまく聞き取れない。単語の端々から脈絡を判断するしかなかった。

(いやアニキ、彼女は日本人ですよ、日本の女の顔だ)
(日本に帰化したのなら日本人だよな、帰化する奴は許せねえ、売国奴だ) …中略…
(日本の女と一度やってみてえな)
(アニキ、どうです、今夜)

疑心暗鬼に囚われた彼女は、旅館を変わろうかと逡巡する。ドアを叩く音がし、見ると右手にナイフを持った男が部屋の入口に立ちふさがっていた。彼女は自分が在日同胞であると必死に弁明する。しかし男は詰問する。

「……おい、ウリマルで一円五十銭と言ってみろ」
「イルウォンオシプチョン…ですか」
「そらみろ、日本人の発音だ」

ここでは「韓国語をうまく話せない」在日韓国人が、「日本人と決めつけられ」いわれなき報復を受ける(すべては主人公の夢であるが)。実際の事件とは役割が反転し、韓国人が日本人と間違えられる。

だがこの作品の異様さは、それにとどまらない。作者・李良枝自身も主人公と同じような経緯で韓国籍を失っていることから、韓国と日本の狭間で宙吊りになった二人を、民族間の歴史上の負債が、呪いのように苛(さいな)んでいる。

朝鮮人が日本国民になる(戻る)ことは、被害者であることから解放されるが、しかし同時に虐待の事実を否定する行為ともなる──、関東大震災から半世紀以上を経て、なおも李良枝が繰り返し被虐体験を想起するのは、意識していようがいまいが、その煩悶こそが朝鮮人に刻みつけられたスティグマとなっているからだ。

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