◆新生活の驚き
アパートを借りて妻と暮らすようになると、学生寮に住んでいたときには分からなかった様々な事柄に気がついた。
まず、家電製品を揃えるにあたって驚いたことは、ほぼ全ての分野にわたって国産品が流通していることだ。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった大型家電のいずれも、日本製や韓国製よりも、イランの家電企業の製品が幅を利かせていた。それらはデザインや機能の点では外国製品に劣るものの、価格は半分以下であり、品質も決して悪くない。学生寮の各部屋に備え付けられていた冷蔵庫、共同キッチンのガステーブル、ランドリー室の共同洗濯機、どれもかなりの年代モノだったが、学生たちの手荒な扱いにもめげず健気に動いていたのを目にしていた私は、迷うことなくイラン製の家電製品を新生活のために買い揃えた。

考えてみれば、イランは中東で唯一、国産自動車の生産レーンを持つ国である。もともと何でも自前で作れる国なのだ。鍋や皿、寝具のたぐいもすべてイラン製でまかなうことが出来た。
(これは2004年当時のことで、その後、家電製品や車は韓国製が、雑貨は中国製がイラン市場を席巻し、イランの製造業は次第に衰退していくことになる。)
机やソファーといった家具については、わずか1、2年のために新品を買う必要もないと思い、市街東部の中古家具街で買い揃えた。

イランの八百屋で見かけないのは、さつまいも、ごぼう、エノキや椎茸、しめじなどだが、手の込んだ日本食を作ろうと思わなければ何の問題もない。写真はよく通ったエンゲラーブ広場の八百屋。平茸をよく買い、ホイル焼きやバター炒めをよく作った。

イランの八百屋で見かけないのは、さつまいも、ごぼう、エノキや椎茸、しめじなどだが、手の込んだ日本食を作ろうと思わなければ何の問題もない。写真はよく通ったエンゲラーブ広場の八百屋。平茸をよく買い、ホイル焼きやバター炒めをよく作った。

 

自炊のために様々な食材を自分で買うようになったのも、この頃からだ。学生寮時代は、生協が配布する安い食券を買って、寮内の大食堂で夕食を済ませていた。だからこの国の八百屋にどんな野菜がいくらで売られているのかさえ、ろくに知らなかった。

八百屋を訪ねてみると、日本で見かけるたいていの野菜は揃っていた。だが、味は随分と違った。イランの野菜はどれもとびきりおいしかった。

イランでは、キュウリは果物の部類に入り、青臭さがなく、ほんのりと甘い。ナイフで皮を削いだ上から塩を軽くふり、丸かじりする。ニンジンはびっくりするほど甘く、街角の生ジュース屋さんでは、健康志向とは無関係に、ニンジンジュースは定番メニューとなっている。

トマトもナスも味が濃く、私の一番好きなイラン料理の一つはトマトベースのナス煮込みだった。タマネギも甘みがあり、肉料理とともに生でかじる。
もう一つ、イランの野菜生活で特筆すべきは、ハーブの大量摂取である。八百屋の店先には、ミント、香菜、細ねぎ、バジル、ラディッシュ、その他諸々のハーブの盛り合わせが大皿の上に山と盛られ、量り売りされている。

これを肉料理などとともに手づかみでわしわしと食べる。ハーブによるビタミンと繊維質の大量摂取は、肉食の多いイランならではの食習慣だ。

さて、肉屋に行くと、イスラム教の国なので当然豚肉はなく、置かれているのは牛肉、羊肉、鶏肉、それに各種のソーセージとハムなどである。豚肉を食べられないことは端から承知していたが、意外なことで私たちは次第にイランでの肉食生活にフラストレーションを感じるようになっていった。それは、売られている肉の形状についてだ。

肉屋では、羊も牛も基本的に巨大な肉塊が吊るされており、欲しい分量を告げて切り売りしてもらう。頼めばその場でミンチにもしてくれる。だが、スライスされた肉はどこを探しても見当たらないのだ。

肉を薄く切るという習慣がそもそもイランにはない。すき焼き、焼肉、しゃぶしゃぶ、ちょっとした炒め物。羊と牛でも十分作れるはずのこうした日本料理も、肉がスライスされていればの話である。薄切りした肉に火を通し、野菜などとともに、あるいは、タレにからめて食べるという、日本では当たり前の習慣も、世界ではごく少数派に属するものなのかもしれない。

私たちはイランで、失って初めてその素晴らしさに気づいた。それは私たち夫婦に限ったことではなく、テヘランに住む在留邦人の多くが感じていることだった。後に、テヘラン市街の外国食品専門市場で、日本人向けに肉をスライスしてくれる店が現れたとき、そのニュースは瞬く間に邦人の間に広まった。

イランでの食生活で妻を最も喜ばせたのは、この国の果物事情とケーキ事情である。各種のりんご、オレンジ、メロン、スイカ、葡萄、桃、キウイフルーツ、イチジク、ベリー類、そして石榴が、季節に応じて八百屋の店頭を色鮮やかに飾り、値段も日本の物価は言うに及ばず、イランの物価から考えてもかなり安く、人々はキロ単位で袋いっぱいに買い込む。

イラン人の果物消費量は日本の比ではない。もともと果物が大好きな妻にとっては、異国暮らしの不自由さを相殺して余りあるほどの魅力だった。
八百屋での買い物は妻にとっては楽しいものだった。

適当に袋に詰められた果物から気に入らないものをポイポイと摘まみ出したり、もっといいものを入れろと売り子に迫ったりと、イラン人主婦の買い方を見よう見まねですぐに覚えてしまった。私が買ってきたものの中に一つでも傷んだ果物が混じっていようものなら、有無を言わせず交換に行かされるようになった。

イラン人は大量の果物を摂取するとともに、ケーキの消費量もかなり高い人種と言える。自分のために買うことより、人に甘いものを振舞うという慣習によるものだ。

イランでは、自分に何かおめでたいことが起こったとき、その喜びを他の人々に分け与えるという習慣がある。子供が生まれたとき、新居を購入したとき、子供が大学に合格したとき、あるいはもっとささやかなことでも、嬉しい出来事があったときには、周囲の人からお祝いを受ける前に、まず自身がケーキの菓子折りなどを携えて、職場で配ったりする。

それこそ自分の部署だけでなく、フロア全体に配って回ることもある。また、人の家に招待されたときにも、ケーキは最も無難な手土産とされる。
そんなわけでイランでは、町の至るところにケーキ屋がある。

店内のガラスケースには、一口サイズの小ぶりなケーキが何種類も並んでいる。手工芸の盛んなお国柄のせいか、どれも趣向が凝っていて、見ているだけで楽しい。しっかり生クリームが使われていて、味のレベルも高い。後に妻と隣国トルコを訪ねたとき、ヨーロッパに近いにもかかわらずトルコの洋菓子のレベルに落胆し、イランのケーキ職人の腕の高さを再認識したほどだ。

そしてここでもまた、全ては量り売りだ。ガラスケースの後ろには、500グラム、750グラム、1キロ、1.5キロ用と各種のケーキ箱が積まれており、まずどの箱にするかを店員に伝える。各ケーキのキロ当たりの値段は均一なので、あとはこれを何個、あれを何個と指差して、箱にケーキを詰めてもらえばよい。1キロ当たりの値段は200円ほどだ。近所にあるいくつかのケーキ屋の中にお気に入りの店を見つけると、妻はすっかりこの地区の住人と化した。

<<10回へ | 記事一覧 | 12回へ>>

★新着記事