◆初めての断食月 挑戦と挫折(下)
初めて臨んだ断食は、想像以上につらいものだった。

外出中は人目があるが、家にいるとつい誘惑に負けそうになる。そもそも誰の強制でもないし、禁煙のように、健康のためという目的があるわけでもない。神との約束を忠実に守れるか否か、そこに自らの信仰心が問われるのみである。

だが、イスラム教徒でない私にとっては、神との約束など、何の実感も伴わない言葉だ。ではなぜ私は断食に挑戦したのか。私はただ、このラマザーン月に起こる様々な出来事を、イラン人とともに共有したかったからだ。まずこの空腹感の共有なくして、何が共有できようか。

ところが、その決意がもろくも崩れ去る日が思いがけず早くやってきた。
ラマザーン月4日のことだった。その日は朝から電話が使えず、もともと接触の悪かったモジュラージャックのせいかと思い、電気屋を探して商店街を歩き廻っていた。陽が高々と昇った、最も暑い時刻だった。

ようやく見つけた電気屋は閉まっていた。ガラス窓から店内を覗くと、なんと店主が昼食をとっている。不心得なムスリムもいるものだと思いながら、他の店を探していると、車のなか、店の奥、あるいはすれ違いざま、いたるところで口をもぐもぐとさせて、明らかに何かを食べている人たちの姿を目にした。

アパートに帰ってみれば、階下の部屋からも、カチャカチャと昼食を囲むフォークとスプーンの音が聞こえてくる。
「みんな食べてたね......」

空腹と徒労感を抱えて帰宅した私と妻は、それから10数分後、どちらからともなくお茶の支度を始めたのだった。
しかしその後、実際には私が思ったほどイラン人の断食実行率は低くないことが分かった。例えば、あるイラン人家族の家に招待されると、家族のなかに食事に手をつける者と絶対に手をつけない者がいる。

ヒーターが故障して修理に人を呼べば、1人は出されたお茶に口をつけ、別の1人は決して口をつけない。断食をする者もしない者も、自らの立場を明確にし、決して人に強要しないその姿勢は、断食があくまで神と自分との約束以上のものではないことを物語っていた。

ラマザーン月最後の金曜日に行われる「世界エルサレムの日」のデモ行進。デモ隊がテヘランの目抜き通りを何キロにも渡って埋め尽くす。大型バスを連ねて近隣市町村からも人々が押し寄せ、政府の動員力を誇示するイベントの一つとも言える。

ラマザーン月最後の金曜日に行われる「世界エルサレムの日」のデモ行進。デモ隊がテヘランの目抜き通りを何キロにも渡って埋め尽くす。大型バスを連ねて近隣市町村からも人々が押し寄せ、政府の動員力を誇示するイベントの一つとも言える。

 

11月12日、ラマザーン月最後の金曜日は、「世界エルサレムの日」とされ、イラン全土で毎年、反米・反イスラエル集会とデモ行進が行なわれる。この日を制定し、その実施を世界のイスラム教徒に呼びかけたのは、イラン・イスラム共和国の創始者、故ホメイニー師である。イランが反米、反イスラエルの旗手であることを内外にアピールするねらいがあったことは明らかだ。

その朝、拡声器によるシュプレヒコールで目が覚めた私は、急いで外に飛び出した。すでにエンゲラーブ広場はデモ隊で埋まりつつあった。
デモ隊は大小様々な集団から成り、西のアーザディー広場方面から次々にここエンゲラーブ広場に到着しては、東のフェルドゥスィー広場方面に去ってゆく。前日のテレビで、公共機関や学校、保守系政党、バスィージ(革命防衛隊傘下の市民動員軍)などの各組織に対し、家族ぐるみの参加をしきりに呼びかけていただけあり、かなり大規模なデモ行進となった。

イランのメディアでは毎日のようにパレスチナ関連のニュースが流されるが、ここ数日はそれに輪をかけてパレスチナの悲惨な映像がエンドレスで流れ続けていた。そのせいもあるのだろう。私がカメラを向けると、「俺たちはみんなバスィージだ」と胸を張る男たちだけでなく、現政府に批判的であってもパレスチナには深い同情を寄せ、当局主導の官製デモと知りつつ個人で参加したという人も少なくなかった。

「毎日、パレスチナでは自分よりずっと小さな子供たちが殺されている。黙って見てはいられない」
友人2人でデモに参加した経営学専攻の男子学生はそう語った。

所詮は官製デモと馬鹿にできないほど、今日のデモは力強く真面目なものだった。翌日の新聞では、イラン全土で数百万人の人々がデモ行進に参加したと発表された。こぶしを空に突き上げ、「アメリカに死を!」「イスラエルに死を!」と大気を揺るがすようなシュプレヒコールを挙げるイラン人の姿が、パレスチナ人に少しでも勇気を与える結果になるのならば、それで十分なのかもしれない。

11月15日。30日続いた断食月が終わった。翌日、朝から店を開けている飲食店を目にし、ようやく日常に戻ったことを実感した。

わずか4日でリタイヤした私たちだが、朝食を食べそびれて外出し、実質断食に近い1日を何度も味わわなければならなかった。ただでさえ制約の多いこの国で、食べるという最も根源的な営為まで禁じられるのは、たとえ1ヶ月間といえども多大なストレスをもたらすものだった。

だから今、リタイヤ組の私でさえ、「食べる自由」の喜びのおこぼれに授かっている。世界中のイスラム教徒がこの喜びを分かち合っていると考えると、いまさらながらリタイヤしたことが悔やまれてならない。飢えの苦しみより、今日の喜びこそ彼らと共有したかったと思う。

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