◆9年ぶりの再会(上)
私がかつて中国・西安からローマに向かう徒歩旅行でイランを通過し、そのとき多くの人々に良くしてもらったこと、そして、いつかまたイランを訪ね、今度は彼らの言葉、ペルシャ語で彼らと語り合おうと決意したことは、この連載の初回に触れた。

カスピ海沿岸部の緑の山々。乾燥した内陸部のテヘランから訪れると、目が癒される。気候は日本とよく似ている。

カスピ海沿岸部の緑の山々。乾燥した内陸部のテヘランから訪れると、目が癒される。気候は日本とよく似ている。

 

夢叶ってイランを再訪し、まもなく1年が経とうとしていた。だが、私はまだ、古い恩人たちを一人も訪ねることが出来ないでいた。どうせならもう少しペルシャ語が上達してから、というのがいつもの自分への言い訳だった。

実際、私のペルシャ語は伸び悩んでいた。語学学校で机を並べる同級生のほとんどが20代。彼らの上達の早さ、そして、ごく少数の私より年上のクラスメートたちの、目を覆う上達の遅さを見れば、私自身の伸び悩みも、30代半ば近いという年齢的ハンディキャップによるものと認めざるを得なかった。

だから1年もの月日が経とうという頃になってようやく、私は諦めに似た気持ちで、旧友を訪ねるために重い腰を上げたのだった。
私がかつて歩いたのは、イラン北部の道だ。トルクメニスタンから入国し、晩秋のカスピ海沿岸をのんびりと歩き、カスピ海西岸部から厳冬の高原地帯に分け入ると、イラン北西部から西の隣国トルコへ抜けた。

道々多くの人の世話になり、ほぼ毎夜のごとく沿道の民家や食堂、ガソリンスタンドなどに厚意で泊めてもらった。私がそれまで持っていたこの国への先入観、つまり、人々が宗教警察の監視に怯えながら、がんじがらめの生活を送っている厳格な宗教国家、というこの国へのステレオタイプな見方は、あっという間に霧消した。気がつけば、他のどの国よりも安全で愉快な旅を楽しんでいた。

ハミッドとムハンマドの二人組に出会ったのは、初雪が間近に迫る、カスピ海西岸部の小都市ハシットパルの、町外れの小さなサンドイッチ屋だった。昼時、理由は憶えていないが、私はひどく苛々しながらそこでサンドイッチにかぶりついていた。そのとき店に入ってきたのが二人だった。私は、ちらちらとこちらを気にしている二人の視線に気づいていたが、それを完全に無視していた。鼻持ちならない外国人に映っていたはずだが、二人はそんなことは気にもせず、にこやかに英語で話かけてきた。

同い年の彼らと過ごした二日間は、楽しいだけでなく、イラン人の若者の苦悩に思いを寄せる貴重な機会を与えてくれた。そして、またいつの日か必ず会おうと約束して別れたのだった。まず、あの二人に会いに行こう。私は妻と連れ立ち、テヘラン西部の玄関口、アーザーディー・ターミナルで長距離バスに乗り込んだ。

VOLVOの最新型バスは、荒野の一本道を、一路西へ向かってひた走る。500キロ離れたハシットパルまでおよそ8時間の旅だ。バス代は一人400百円ほど。燃料費が安いのは産油国の強みだ。弱小バス会社の旧式バスなら運賃はもっと安い。だが、そういうバスは時間通りに目的地に着くことより、一つでも多く座席を埋めることに熱心で、大抵は乗客が怒り出すまで出発しようとしない。

出発しても、バスターミナルの回りを目的地を叫びながらぐるぐると何周も回り、沿道で手を挙げる人がいれば、必ず乗せる。近場への旅ならそれもまた良しだが、一日がかりのバスの旅では、空席がいくらあろうと予定通りに出発する大手の人気バス会社のほうが安心である。

バスが進路を北に向け始めると、見通しの良い瓦礫の荒野が、いつしか深い渓谷に変わっていた。山越えの道に入ったのだ。途中一度だけ、山中のドライブインで食事休憩を取る。出発して間もなく、道は下りになり、河川敷が幅を広げ、山肌に緑が目立つようになってきた。エルブルース山脈の峠を越えたのだ。山脈の北麓と、その先にあるカスピ海沿岸部は、緑豊かな亜熱帯気候に属し、イランの米どころ、茶どころ、そして多くの野菜や果物の産地であり、魚も獲れる豊かな土地だ。そして私にとっては、9年前に自分の足で歩いた懐かしい土地だった。

カスピ海に面したギーラーン州の州都ラシトを過ぎると、バスはかつて私が歩いた道を走っているはずだった。しかし、どんなに車窓に目を凝らそうと、記憶にある長閑な田舎道の景色はそこになく、バスは片側2斜線の立派な幹線道を進み続けている。新しいアスファルト、新しいガソリンスタンド、新しいレストランの数々。

こんな道だったかなあ、と記憶をたぐっていたが、結局、見覚えのある景色を一つも見つけられないまま、バスは目的地であるハシットパルの町に到着してしまった。

古くからある町の目抜き通りは、変わっていないように見えた。ハミッドの父親の経営する店もすぐに見つかった。中を除くと、奥のデスクには大柄なハミッド本人が座り、書類に目を向けている。私は妻とともに店内に入り、ハミッドのデスクの前に立った。ちらっと顔を上げたハミッドは、突然の東洋人の来客に少しうろたえ、「どういうご用件でしょう」と言いながら、また書類に目線を戻した。次の瞬間、椅子を跳ね飛ばすような勢いで立ち上がると、叫んだ。
「イチロウ!!」

大男がタックルするような勢いで抱きしめてくる。
「お前の夢を見たんだよ!ほんの3、4日前さ。こんなことってあるんだな!」
妻が横で泣きそうな顔をしている。私は、やっと再会の約束を果たせて、なんだかほっとした気分だった。
(続く)

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