◆芥川龍之介ら文壇作家の限界

芥川龍之介は震災の翌1924年6月、『サンデー毎日』夏季特別号に『桃太郎』という短編を発表する。

芥川は随筆もいくつか発表しており、『大震雑記』での菊池寛とのやりとりでは、自らを「善良なる市民」に擬して「不逞鮮人」(作中では伏せ字)の陰謀を語り、菊池にたしなめさせる。また自身が自警団に参加した事実も吐露している。いずれもレトリックの中に真意を潜ませるような文章である。

短編『桃太郎』は、鬼を平和主義者に位置づけ、桃太郎を侵略者としたパロディ作品だ。

「武断主義の犬」(草稿)、「地震学などにも通じた雉」、「鬼の娘を絞め殺す前に、必ず凌辱をほしいままにした」猿を引き連れ、桃太郎は「あらゆる罪悪を」行い、鬼が島の「罪のない」鬼を殺戮して、故郷へ凱旋する。かし鬼の若者たちは「鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾をしこんで」桃太郎の屋形を襲撃する…。

言うまでもなく、ここには三・一独立運動以後から関東大震災までの日本人と朝鮮人の緊張関係が表現されている。しかし御伽噺のパロディという形式で書かれたこともあってか、この作品が大きな注目を集めることはなかった。

発表当時、芥川ら文壇作家がいまだ当局への配慮を必要とし、筆禍への警戒心を解いていなかったことは確かだろう。報道の解禁後も、内務省は「流言は事実ではない」ことを認めながら、それを一般に広めようとはしなかった。そのため新聞は、虐殺は〈不逞鮮人〉の暴動に対する自衛行動であったという趣旨の記事を書き続けていた。

帝都にいまだ戒厳令が続く中、そうした空気に表立って抗おうとする文壇作家は存在しなかった。(敬称略 続く 10

 

劉 永昇(りゅう・えいしょう)
「風媒社」編集長。雑誌『追伸』同人。1963年、名古屋市生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。雑誌編集者、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。著作に『日本を滅ぼす原発大災害』(共著)など。

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