◆「善導」主義の挫折

しかし、「善導」主義が必ずしも朝鮮人統治の主流方針となったわけではなかった。「厳罰」主義を志向する司法省の方針とのせめぎ合いもあったし、かえって朝鮮人の民族心を育成するのではないかという疑念を持つ者も少なくなかった。

日本の植民地政策に批判的だった吉野作造(吉野作造『閑談の閑談』、書物展望社より)

朝鮮の武断統治政策を再三批判した吉野作造もまた、「(「善導」主義は)本人の要求、本人の必要を深く考えない、余計な御世話」であるとした。侵略者に一方的に与えられた「括弧付きの自由」を、被支配者が心から喜んで受け容れるはずがないということだ。

また一見すると融和的に見え、理性的に思えるこの「善導」主義には、大きな矛盾が内在していた。〈善良〉の中の〈不逞〉を見つけ出すためには、つねに〈善良〉を警戒し、監視していなければならないからである。

〈不逞〉と〈善良〉を区別するために水野らが画策した植民地支配の論理は挫折する。結果として両者の境界線が曖昧になり、識別がより一層困難と思わせる状況が後に遺されることになった。(敬称略 続く 7


劉 永昇
(りゅう・えいしょう)
「風媒社」編集長。雑誌『追伸』同人。1963年、名古屋市生まれの在日コリアン3世。早稲田大学卒。雑誌編集者、フリー編集者を経て95年に同社へ。98年より現職。著作に『日本を滅ぼす原発大災害』(共著)など。

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