アイン・アル・アラブのメイン通り。活気はなく、いくつかの店はシャッターを閉じていた。戦闘で道路がたびたび封鎖され、物資が町に入ってこなくなった。(1月撮影・玉本英子)
アイン・アル・アラブのメイン通り。活気はなく、いくつかの店はシャッターを閉じていた。戦闘で道路がたびたび封鎖され、物資が町に入ってこなくなった。(1月撮影・玉本英子)

 

◆「コバニ」と呼ばれる町は今

アレッポ県北部、トルコと国境をへだてる町、アイン・アル・アラブは、8万の人口のほとんどをクルド人が占める。ユーフラテス川の恵みを受けてきたこの一帯は、はるか昔、アッシリア帝国が栄えた。

オリーブやアーモンドなど多くの農産物があるが、地場産業はなく、町は貧しかった。そのため、多くの男たちがレバノンやリビアなど国外に単身で出稼ぎに出た。

地元のクルド人は、この町を「コバニ」と呼んできた。100年前のオスマン帝国時代、当時のドイツ帝国は中東進出への足がかりをつくるため、ベルリ ンからバグダッドへとつながる「バグダッド鉄道」の建設をすすめた。通過点であるこの地域にも駅ができることになり、ドイツから建設会社がやってきた。地 元住民たちはその会社を英語の「カンパニー」と名づけ、それがなまって、町の名前が「コバニ」と呼ばれるようになったという。

完成した駅には、多くのアルメニア人難民が降り立った。当時、オスマン帝国は、国内に暮らすアルメニア人を迫害し、避難民となったアルメニア人の一 部は鉄路で西へと逃れた。「コバニ」で避難生活を送った人びとも少なくなかった。その後、ほとんどのアルメニア人は欧州やアメリカなどに渡っていった。

シリアでの内戦が始まって半年後、政府軍はこの町から撤退。地元のクルド人組織が町を掌握した。周辺地域では激しい勢力争いが勃発し、反政府勢力間 どうしの戦闘を繰り広げている。コバニのすぐそばまでイスラム過激派がつめより、ときおり砲弾が撃ち込まれる。輸送網が絶たれているため、医薬品や食料品 なども入りにくくなっている。

かつてのアルメニア人の姿をいま見ることはない。だが、いま「コバニ」には、内戦の戦闘から逃れてきたクルド人やアラブ人の国内避難民らが身を寄せ合う。

郊外の農村地帯にアレッポにつながる線路が延びていた。列車はほとんど稼動していないという。

「私たちには、安全な場所へ逃れる列車もない。故郷の『コバニ』にとどまるしかない」
地元自警団の男性のひとりはそう話した。

【シリア・アレッポ県アイン・アル・アラブ 玉本英子】

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