10年ぶりに再会した一家。みんな私のことを覚えていてくれた。当時の子どもたちは民兵になり、前線で戦う。内戦後は物価が高騰、肉を食べる機会はほとんどなくなったと母親は話す。(シリア北西部 アレッポ県 アイン・アル・アラブ 1月撮影 玉本英子)

10年ぶりに再会した一家。みんな私のことを覚えていてくれた。当時の子どもたちは民兵になり、前線で戦う。内戦後は物価が高騰、肉を食べる機会はほとんどなくなったと母親は話す。(シリア北西部 アレッポ県 アイン・アル・アラブ 1月撮影 玉本英子)

 

◆戦争のなかの「日常」

シリア北西部アレッポ県のアイン・アル・アラブで10年ぶりに再会したイスメット・ハサンさん(48)。テレビ棚には10年前に私と撮った記念写真が飾られていた。

夕方になると、子どもたちが家に戻ってきた。すっかり大きくなって、私には誰が誰だかなかなか思い出せなかったが、みんな私のことをはっきりと覚えていてくれた。

電気のない薄暗い居間で、石油ストーブを囲むようにして、紅茶をすすりながら話をした。

上の娘2人は結婚し、家を出ていた。当時、一緒に折り紙を折って遊んだ長男(25)と次男(17)は、クルド人組織、人民防衛隊(YPG)の民兵に なっていた。「家族を守るため、町を守るために志願した」と笑顔で話す。部屋には戦闘で命を落とした仲間の顔写真がいくつも貼られてあった。この地域では いま、イスラム武装組織が攻勢をかけ、毎日、各地で激しい戦闘が続いている。多くの若者たちが次々に人民防衛隊に入り、前線へ向かっていた。

母親のセディカさん(45)が、食事を出してくれた。薄く切ったじゃがいもにひき肉、トマトを入れた炒め物で、塩気がきいて美味しかった。
家族は「もう食べたから」と言ってそれらに手をつけることはなかった。戦闘で食材も満足に手に入らないこの町での貴重なご馳走だった。

「水、食料、ガス、何もない。政府軍は去ったのに、どうしてこんなことになったのでしょうか」
セディカさんは大きなためいきをつく。住民の多くは、庭を掘り起こし、野菜や薬草などを植えて食料を確保するようになった。玉子を手に入れるため、ベランダでにわとりを飼う家庭もあった。

町では1日に数時間、電気供給がある。夜、突然、電気がつくと、家族はあわただしく動き始めた。イスメットさんはすぐにテレビをつけ、チャンネルをかえながら戦況を確認する。

末っ子で小学2年生のハムザくんは、リュックから教科書やノートを取り出した。そして、再開された学校の宿題をはじめた。

娘たちはパソコンの電源を入れ、インターネットを始めた。トルコ国境に近いこの町では市民の多くは小さなアンテナを設置してトルコのネット回線を利用している。娘たちが開いたのはフェイスブックで、真剣な表情で友人たちの安否を確認していた。

「いつか平穏に暮らせる時が来ると信じている。ただ、それが5年先になるのか、10年先になるのか...」とイスメットさんは言う。

家族の「日常」は、戦争と隣り合わせのなかにあった。(つづく)

【シリア・アレッポ県アイン・アル・アラブ 玉本英子】

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